人生は3・3・3・1ぐらいで。サボったらまたやりたくなるから ラッセルの幸福論2 思考のコントロール

そろそろ、タイトルとラッセル何の関係があんのかってなってきたけど、私はまだ見失ってないはずw
ということでラッセルの幸福論2
ラッセルの幸福論、内容・訳はNHKの100分de名著を参考にしています。

1では、幸福とは落ちてくるものでは無く獲得するもの。そして不幸の最大の原因は自己没頭にあると書きました。というかラッセルがそう書きました。
自己没頭っていうのは、

  • 罪の意識(幼い頃大人におしつけられた道徳観とか常識に囚われて、何かしらにつけて悪い事をしているという感覚に陥る)
  • ナルシズム(自分以外を愛せないため、人を上手く愛せない)
  • 誇大妄想(自分に力があればこんな世界はもっとうまくいくはずといった自分の中だけでストーリーが進展しがち。)

このような自己没頭により人はどんどん自分の中へ中へ引きこもるようになると、幸福を感じる事は無くひたすら不幸と思うことでしょう。

んでここから、ラッセルは「思考のコントロール」により、自分を上手くコントロールすることで、外の世界へ目を向けることで幸福を得られるとしています。

思考のコントロール

生きていると様々な不幸の原因が訪れます。その様々な事案は自分の思考をコントロールすることで、幸福へと導くことができます。
「考えるべきことを考えるべき時に充分考えること」それが思考のコントロールです。

  • バイロン風の不幸(悲観主義)どうせ出来ないんだから、やっても無駄という意識

→やらなきゃいけない状況へ目を向ける。「今やらないといけない事」をどんどんやる。
(例えば子供が熱を出した時、そこで不幸に浸る親は少なく、病院へ連れて行かなくては、薬を飲ませなくては、と「やらなければならない事」を当たり前のように取り組む事が出来る。)

  • 競争

→過度な競争は不幸の原因となる。純粋に楽しむことへもバランスをとるべきである。

  • 退屈と興奮

→退屈自体は不幸である。しかし、興奮を求めすぎると依存症となり不幸となる。「退屈を楽しむ」思考のコントロールが重要である。
暇でごろごろしてるのも楽しいとか、何も無い休日だとか、スマホが無い状態でも生きていける自分を持たないといけないってことかな。
伊集院 光さんが言っていた例→美味しいものを求めすぎると疲れる。たまに家庭的で普通の食事をしたいときがある。

  • 疲れ(プレッシャー)

疲れは万人に共通することです。過大な疲れやプレッシャーが襲ってきたら、宇宙を想像し(いきなりぶっ飛んでてすみません)、自分のプレッシャーや疲れなどクソ小さいものだなと「想像」出来る事が大事。つまりそれこそ自己に没頭しないことですね。

  • ねたみ

→他人と比較する習慣は致命的な習慣!何でも楽しい事はめいいっぱい楽しむべきである。
これはもしかして他の人には楽しとは思えない?なんていちいち立ち止まるべきではない。比較を辞め、自分の状況を楽しもう!

  • 罪の意識

幼い頃に植えつけられた道徳観念が大人ってから罪の意識として残る場合がある。
例・幼い頃に結婚や子供を産むことが幸せだと教えられて育つと、結婚しないでいる人生に罪悪感を感じるようになる。

  • 被害妄想(なぜ周りは自分を分かってくれないのか)

被害妄想に対しては4つの解決策がある。つまり以下4つの事をこじらせると被害妄想に陥り不幸の原因になるよってこと。

  1. 自分の動機は、自分が思うほど利他的ではないことを忘れてはいけない(「人のためにしてるのに」と思っても、実は自分にも別の欲があることを自分自身で気づいていない場合がある、自覚するべきである)
  1. 自分の美点を過大評価してはいけない(自分の良い所を必ずしも他人が同じように評価するとは限らんよ)
  1. あなたが自分自身寄せているほど大きな興味を、他人も寄せてくれると期待してはいけない。
  1. たいていの人は自分を迫害しようとしてるとか特に思ってる、とかそんな事を想像しなくてよい。

被害妄想っていうのは、自己評価と周りの評価との差が大きい人ほど高い人ほど陥りそうな事案ですね。。特に自分では人のためと思っていて、その中に自己掲示欲が紛れているのを自分で分かっていないのも結構厄介な気がします。。気をつけよう。

  • 世論への評価

一般に、重大な問題でもささいな問題でも尊重されすぎている。世論に耳を傾けすぎるのは、自ら進んで不必要な暴力に屈することであり、あらゆる形で幸福を邪魔されることになる。
→生死に関わる問題出ない限り無視して構わない。
この害悪に対する治療は一般大衆が一段と寛容になること。

今で言う炎上に、屈していてはいけない。だいたい無視しとけってことだね。そして一般大衆もゼロか百で考えずに寛容に見ろとしか言えんという感じかな。
炎上させてるのは、ノイジーマイノリティ(声高な少数派)って分かって胸張ってればよい。結構マジョリティは流れによって感じ方考え方を変えていくのだからね。

さて、次はそろそろタイトルとつながってくる内容にいけそう。バランスこそが幸福の条件

人生は3・3・3・1ぐらいで。サボったらまたやりたくなるから ラッセルの幸福論1 不幸の原因とは?

最近気づいた事がある。
堀江さんとかひろゆきとか、その辺の人が説いてる事って、最終的にラッセルの幸福論とつながってる?ような。

堀江さんは、多動力という言葉を使って、一つの事に囚われず?(正しい漢字はどれだw)色んな事をやってみよう!と説くし、ひろゆきは幸せになるには、無駄な事にお金を使わず、生活レベルを上げずに自分の足元を見て、自分の幸せを満たそうみたいな事言ってる。

周りを見すぎず、自分の幸せを掴もうっていうのかな。上手く言えないけど。。
あくまでお二人の記事や動画を良く観たり、読んだりしている私個人の感想(笑)

現代、「普通」の生活なら苦しくともなんとか出来る。何かしら仕事に就き、毎日の食事が出来る。
幸福、不幸というのは、家族を誰かに殺される、借金地獄に落ちるといったような分かりやすい不幸や、金持ちと結婚して玉の輿にのりましたーのようなシンデレラ的な分かりやすい幸福を掴む話しでなく、地に足を付けて、なるべく幸福を感じて生きていこう、みたいな話。

そんな幸福論を精神論ではなく、理論的にまとめたのがラッセルの幸福論。
ラッセルの幸福論、内容・訳はNHKの100分de名著を参考にしています。

ラッセルの幸福論

幸福は振ってくるものじゃない

ラッセルは幸福は熟れた実が落ちてくるように振ってくるものではなく、獲得するものだと説きます。
これを聞くと、幸せになるために努力するとか、がんばって勉強して良い大学を出て良い会社に勤めて、適齢期で結婚をする。それが幸福であり、そうあるために、積極的に活動することが幸福を目指すと感じるかもしれない。
でも幸福ってそういう事じゃない。

かといって宝くじが当たんないかなみたいなのは、お金=幸福だと思っているから。お金を幸福だと思っている人はいつまでも幸福にはなれません。でもそれって綺麗ごとに聞こえるし、お金を持っている人が(たとえばほりえもんひろゆきとかかがね)そんな風に言っても説得力無いよーって思ったりする。

確かにお金は無いと生きていけないし、それこそ家族がいれば、ジブシーみたいに生きることや生活保護受ければいいじゃんみたいな考え方は極論過ぎる。
でも、今私が抱えている不幸の数々はお金があれば全て解決するんだろうかと考えたときに、やっぱりお金で叶う事には限界があると思う。

幸福になるために

  • 自分が一番望んでいるものは何であるかを発見して徐々にこれらのものを数多く獲得した

「自分が一番望んでいるもの」それは何なのか。きちんと考えた事があっただろうか。それを手に入れるためには一体何が必要だろうか。

  • 望んでいるもののいくつかを、本質的に獲得不可能なものとして上手に捨ててしまった

「自分が一番望んでいるもの」例えば、宝くじが当たれば今望んでいる全ては叶うかもしれない。でも全てを叶えるためにそればかり望んでいても何も叶わないままだし、それこそ自分の望んでいる「幸福」にはなれない。

  • 自分の能力では叶わない様な望みをきっぱり諦める

それこそ、いつか宝くじ当たらないかなあと考えていると、宝くじが当たらない限りずっと不幸のような気持ちになる。欲しいものが手に入らない気持ちをずっと持ち続けていないといけない。

  • 自分の欠点に無関心になる事を学んだ。だんだん注意を外界の事物に集中するようになった
  • 不幸な人たちは不眠症の人たちと同様に、いつもその事を自慢している。もしかすると彼らのそれは尻尾を失った狐の自慢に似ているかもしれない。もしそうなら、それを治すには彼らに新しい尻尾の生やし方を示してやすことだ。

世の中は発達障害といわれるような人たちが目立ってきた。私の子供も低学年で早々に不登校となり発達の遅れを親子ともに自覚しなくてはいけなくなった。しかし、そんな自分や子供、納得出来ない世の中の現状に嘆いても実際誰も私達親子の事を救えないのだ。

自分で自分をいつまでも不幸だと思っていても、不幸だと思った分だけ幸せが落ちて来るわけじゃないんだよね。

かといって、精神的に強くなれというのとはまた違う。強くなるのも大切な事だけど、それが一番大切なことではない。

新しい尻尾、新しい尻尾となる何かを私は持っているか。持ってないのならこれから生やして行けば良い。

不幸の最大の原因は自己没頭

  • 罪びと

小さい頃から、これは悪い事であると教えられた事に、実は知らないうちに縛り付けられている。

  • ナルシズム

自分を賛美しるぎると、不幸を招く。自分以外を愛せない。

  • 誇大妄想狂

自分の権力が最大の武器であると感じる。自分の権力以外信じられなくなってしまう様。

これらは全て自分自身に縛られている、自分自身の考えから抜け出せず、自己没頭に陥っている。自己に没頭し過ぎるとけして幸せにはなれない。
自分の内に内に逃げている状態になっている。

次の記事は、ラッセルの幸福論2.人生にやってくる様々な不幸を「思考のコントロール」によって上手くやりぬく術。

中古マンションで気をつけるべきは水周り。なぜなら保険が下りない事があるから

先日、休日の朝七時からマンション管理室の方からピンポンで起こされ、下の階に水漏れが発生しているから確認したいと言われた。
まだ寝ていたので、水など1ミリも使っていないんだけど?って感じで中へ入ってもらったが、玄関の床がちょっと濡れてる?事が判明。
踏むと、ちょっとずつではあるが下から水が吹き上がってくる。
なんじゃこりゃ、というか下の階の水漏れは我が家が原因?

突然の水漏れ事故、保険が下りると安心していたら・・・

まあ、それでもそんなに焦りはしなかったね。
この中古マンションを購入するとき、水漏れの事故かなんかで下の階に被害があったが保険が下りたので、被害者も加害者もタダでリフォーム出来てwinwinだったって話しを営業さんがしていたのだ。

まあ、水漏れが発生していると聞かされた時、水を使っていなかったし、住んで一年半。何も悪いことはしていないのだから過失など無い。保険は下りるでしょうと思っていたのだよ。

来ていた管理人さんに保険は下りるのか聞いてみると、共用部が原因なら下りるかもしれないが占有部が原因だと下りないし、期待させてはいけないのでおりるとは言えないとのこと。
ちなみに給水配管は占有部になるらしい。

そこから大変だったのが、管理人室からの指示。
下の階は出かけて誰も居ないので、原因が分かるまではお湯は使うな、水は必要時以外は元栓を締めろと。

なのに、管理人室が呼んだ業者は約束の時間を過ぎても一向に来ず、連絡無しで半日ほど遅刻。急で大変なのは分かるがせめて電話の一本でも欲しいものだ。こちらは管理人室から連絡も来ていないのでどこにも出かけられない。出かけられないのに水の使用も制限させるのだ。

夕方ようやく業者さんが来て調べてもらったところ、ベランダからお風呂場に続く給水官が経年劣化により破損しての水漏れだった。こちらの配管は占有部のものになるので、共用部の保険は下りないだろうとのこと。修理見積もりは実際に工事をしないと詳しい金額は出ないが、8万くらいかかる。とのこと。
ならマンション購入時に契約した住まいの保険を使おうと電話して問い合わせた所、まず経年劣化によるものは難しい(それは分かる)。
ここからだ。

それと配管工事は保険の対象外。

えっ!だって水漏れって配管が原因でしょ普通。

水を出しっぱなしにしたり、そういった過失があったわけでは無いのに、見えない部分の配管の劣化はこちらではどうしようも出来ないじゃない。。と。
パンフレットの水漏れイラストでは完全に配管から水が出てますけど。。
一応、工事後に見積もりを送ってみてほしいとのことだが期待はせずにとのこと。

個人賠償特約に入っていれば被害者への保障は出来る

不幸中の幸いで、個人賠償特約に入っていたので下の階への被害へは対応できるとのこと。
良かった。

下の階へお詫びのあいさつに行った所、被害はとても小さくリフォームするほどでは無いし、明日はわが身なので気にしないで欲しいと言われたのでとても助かりました。工事の値段や保険について逆にお互いに情報収集のような感じになった。

ちなみに、保険会社では直接被害者の方と連絡を取り合ってくれるサービスがあるので、大きな被害が出た場合は被害者の方の電話番号と名前を保険会社へ伝えればOKで、様子を見るなんて言われたら、それでは一ヶ月くらいを目処にと伝えておけば良いと保険会社からは言われました。
あまり長い期間が過ぎると、保険適用の事例か分かりにくくなるため。

未然に防ぐ方法は無いのか

その後、ヤフー知恵袋で壊れる前に(別の部屋の方へ迷惑をかける前に)点検しておく場所は無いかと問いかけた所、「この世界に壊れないものは無い」「壊れたら治すしかない」といった意見ばかり。

つまり、築年数が経った建物は、「水周りはリノベーションしとけよ」って事らしい。
壊れたら治しながら使う、は私の好きな使い方だけど、家の中に至っては、車のように定期点検が無いようだ。
ここが劣化してきてるから、水漏れする前に修理したほうが良いですよみたいなサービスあっても良いのになあ。

中古の戸建てなんかだと、購入する前にそういったサービスあるらしいけど、10万くらいするらしいね。
マンション占有部水周りチェックとか10年に一回義務付けられてれば中古マンションの価値も上がるんじゃないかなあ。
こういう見えない部分の故障があるから、良い中古マンションいっぱいあるのに、みんな新築市場主義なんだよね。

結局安く買っても、修理にお金かかるじゃんっていう。

派手なリフォームまではやらなくて良いから、安く買って質素に暮らしたいって人にも良いんじゃないかなあ。
後どのくらいで工事が必要になるって分かってたら、それならその分お金も計算してから家も買うっちゅーねん。

修理に保険が下りないなら、人に迷惑をかける前に修理しておきたいだけなのになあ。

ということで、実際7万円近く出して修理しまして、保険会社に見積もりなどは送りましたがまだお返事はもらえてません。

ちなみに。

水道事故などで水道代がすごくかかっちゃった場合は、水道局に届ければ水道代が少し帰ってきたりするのですが、この地域では、県指定業者が修理してない
とダメみたいで、そんなこと知らず水道局へ問いあわせると、案の定、今回治してもらった工事業者は指定業者さんじゃありませんでした。。
管理人さん曰く、このマンションの修理を結構請け負っているので良く知っているとのことでしたので、そこは良かったのかなとも思いますけどね。

お湯が出るのが遅いのは給湯器のせいじゃない

マンションのお湯が出るまで1分かかる。
測ったら1分10秒あった。水がもったいねー。

給湯器の設置が2004年。現在2018年だからお察し。号数も16号と小さい感じ。

新しい給湯器って10万くらいするし。本当持ち家って金かかるわって感じで、東京ガスに電話してみたら、原因は給湯器ではなく給湯器から水道まで距離が長いことを原因らしい。

長い配管に残っている冷たい水が押し出されて温かい新しいお湯が顔を出すまで時間がかかるのだそうだ。

むしろ、設定した温度でお風呂が沸かされお湯が使えているなら、給湯器はまだ現役なのだそう。
給湯器設置した歳の赤ちゃん中二やぞ。

給湯器の号数はマンションで規制されている場合が多いので、勝手に号数でかいものに変えちゃいかんと言われました。他の人の容量まで奪ってしまうことになるらしい。

号数を変えるとキッチンと風呂場両方で使えたりするらしいから、電気のアンペアみたいな考え方なんかな。その分ガス代も上がるらしいしね。

今日の経費削減

家庭は会社運営だと思うように、真面目に取り組むことにしている今日この頃。

だって、時間はあるんだもの。

 

とりあえず、マンションのデフォルト仕様の40アンペアを30アンペアにする予約を入れた。

工事でブレーカーを取り替えなきゃいけないみたいです。

アンペア数を変えてから、電気のプランをスタンダートsってやつに変える。

まあ、東電にネットユーザー登録して検針票をペーパーレスにするということなんだけどね。

料金プランを変える時は、利用中のアンペア数を引き継いで契約するので、他社との電気の契約プランを検討する場合も、アンペア数を変えたいと思っていたら東京電力で先にやっとかんといけんのよね。

新しいスタンダードプランは、従来と料金は全く変わらない。基本料も金額の加算のされかたも同じだそうで、新しいプランなら、使用量に応じて1000円につき5ポイント、Tポイントでもポン太でも好きなやつに変えられるみたい。

 

ガスとセット割りにすればセット割りで電気料金が月100円くらいは浮くみたい。まあガス代もポイントに換算されるわけだから、年間に換算すればあれだけど、とりあえずは電気ガスそれぞれポイントに換算できるようにユーザー登録しておくか。

どうせ趣味なら、節約ではなく資産を増やす趣味という名目の方が良いでしょ

資本主義というのを、実力主義だとか社会主義国よりはマシみたいに思っていて、だからこそきちんと働けばお金がもらえて、、みたいに理解したつもりでいた。

むしろ、仕事出来るやつでも出来ない奴と同じ給料もらってみんなで足踏み揃えて昇給なんて、なんて社会主義な会社だと思っていたけど、それ以前に、会社員である前にすでに国の資本主義社会の中の立ち位置にいてそれ以上でもそれ以下でもない。

 

ナニワ金融道の青木先生の言うように、ただの労働者であり、この労働者階級から普通に生活していては抜け出せないのだ。

 

会社員というのは、資本主義社会の中で既にとても優遇された立場で、ほかの会社に行けばもっと自分の実食が優遇されるはずなんて、夢みがちも良いところなのかもしれない。

 

むしろ、新卒から奴隷として飼い慣らされていることを逆手に取り、もっと認めて欲しいと思うよりも、もっと適当にやって今の給料をもらい続ける事がかしこいかもしれん。

 

そこで、考えるのが、社内で認められることに従事するよりも、適当にもらえる金をいかに減らさず、守り抜くことを考えた方が良い。

 

労働階級、つまり奴隷であり続けるしかないのであれば、いかにお国からの財産の取り上げをかわし、奴隷としてもらったお金をきちんと管理していかねばならない。

 

欲を出してもいけない、馬鹿であってもいけない。

自分の身分を心から理解し、のびのびと平和に暮らしたい。

 

知らないことで騙されることはあってはいけない。

搾取されていることに気がつかねばならない。

 

 

1日先に学校に行った

先生と約束していたので、8月31日に先生に会いに学校に行った。ようやく終わらせた一学期のドリルを丸つけしてもらって、なんか一緒に工作して帰った。

 

なんか、9月1日は自殺率高いらしいね。

 

よくにちゃんまとめとかで、我慢する事もとか、良くない大人にはなるなとか正論ぶってる奴らいるけどね。正論吐くやつって逆に経験なさ過ぎ奴だよね。経験無いから簡単に正論を正義ぶって吐くよね。うざいうざい。

 

昼は冷凍ピラフ食ってまたYouTube三昧、私はハワイには行きたくてなんかキッズサマースクールとか色々見てる。

 

千円貯金、してみようかな。。